2016年05月09日

アカの他人が「ゆるく生きる」のを見て

自分の過去のブログ記事のひとつを読んだ。
超人気ブロガーである「ちきりんさん」の書かれた内容に関してのものだった。

ゆるく生きる。
あっさり書かれたものは、こころを楽にしてくれる。
が、これには、行間に別の意味がある。

有能で努力している人が、数々の実績を積んだ上、得た結果である「ゆるく生きる」を、
無能で努力していない人が、なにも実績を残さず、表面に現れる結果だけをひょいっと自分に当てはめて「ゆるく生きる」。

これは、違うんじゃない?
と、ちきりんさんは、さらりとイヤミなく、でも論理的に書かれている。

したいことと、すべきことと、ヒマだからやっていること、これらを区別して自覚せよと。

わたしが前に読んだときからさらに5年も、人生の残り時間が少なくなってきている今、
新たに読み返すと、なかなか鋭いものがある。

偉い人も、偉くない人も、老化して脳が夢世界に行けば、最後はいっしょやん!
向こう岸もこちら岸も、いっしょやん!
と、偉くないわたしは、元・偉い人の脳が老化しているのを目の当たりにして、感じ悪い感想を抱いていた・・・が、
最後は一緒でも、プロセス、過程、それまでが、違うseed funding
「それまで」が大事なのである。

お腹一杯になるまで食べるのは幸福だが、何をどのように食べるか、だ。
たんに満腹中枢を満たすだけなら、何を食べても同じ。

そのプロセス、なにを食べるか、が、「質」だと思う。
上質を知らない人には、上質の意味を理解できないだろう。
ただし、人によって、質のとらえ方が違う。
基準があいまいなので、皆さん、プライドが傷つかないようになっている。

わたしは、ちきりんさんのように、有能でもなく努力もせず、実績も残していないので、
わたしが「ゆるく生きよう」などと言っても、「あんたが、なにを言う」と石を投げられるだろう。


わたしは、プライドが高い、らしい。
内容もさほど無いのに、意識が中身を上回っている。
せめて、プライドの高さを客観的に実証できる、根拠となる「何か」を具現化させるため、努力すべきである。

とかなんとか・・・またもや文字数をやたら使って、延々と、サボり肯定論を説きそうな悪い予感。
表現を変えただけの、自己肯定は、うんざりであるが、・・・まあ、いいんじゃないか。



Posted by qinaideren at 17:25│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

QRコード
QRCODE
庄内・村山・新庄・置賜の情報はコチラ!

山形情報ガイド・んだ!ブログ

アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
qinaideren