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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2016年06月29日

報道被害


3.11以前から、日本は行き詰まっていたと思う。
原因は複合的だが、主要には、
『国家(政治・官僚・行政)機構の老朽化による機能不全』
が挙げられるだろう。
そのため、国民の間には、言いようのない憤懣がたまっている。
そして、その憤懣のはけ口を、
マスコミが連日すすんで提供しているように見える。
感情的なバッシングは、恐ろしい。
数年前、国内初の鶏インフルエンザで、
養鶏場社長夫妻を自殺に追い込んだ事件を、私は忘れられない。
国民は、マスコミ(あるいは口コミ)によるバッシング対象を、
そのまま自分の憤懣のはけ口にしては、ならないだろうSkin Care System
怒りの対象は、理性で見極めるべきで、
感情に流されて、誤ってはならない。
感情のパワーを、ぶつけるべき相手は何か?
その選択は、本当に間違っていないか?
   主権在民の精神は、常に問われ続けているのだ。
100年前、福沢諭吉は警告した。
「天は、万民平等である。
 にも関わらず、人を差別し身分の上下を作り出すのは、人である。
 理性と知性を磨けば、素晴らしい社会を築くことは可能だ。
 しかし怠愚に陥れば、時の権力者に牛馬のように支配されるであろう」
後世の公権腐敗を予見し、過剰な集権を危惧していた諭吉。
私たちは、その警告を、守ることはできないのだろうか――  


Posted by qinaideren at 16:09Comments(0)

2016年06月15日

鏡よ鏡



ジムに通っていた頃、帰りによく買い物をしたスーパーがあった。やめてからは足を向けることもほとんどなかったのだが、今日は近くで用があったので、懐かしさもあって数年ぶりに寄ってみた。
駐車しにくい狭い駐車場もそのままだった。beauty products online

高架下にあって、あまり大きなスーパーではないし、客も多くはない。
相変わらず設定温度が低くて冷えそうだわと思いながら商品を見ていると、見たことのある人影に気づいた。
見ると、そちらもわたしを見ている。
鏡だ。
忘れていたけれど、柱が鏡になっているせいで、やたら鏡の多い店だったのだ。

あの頃は、ジムで壁一面の大きな鏡を前にして、帰りにもスーパーでまた鏡を見て(見せられて)いたのだ。
それに比べると、今は我が身を観ることが本当に少なくなった。まあ、見たくもなくなったのだけれど。

懐かしい場所にいると、「ここに来ていた頃のわたし」をいろいろ思い出す。鏡にちらり、ちらりと映るのも、その頃の、屈託だらけだったわたしのような気がしてくる。まるでお姉さんぶって、過去のわたしと一緒に買い物をしているような……?

それにしても、外で自分を「見る」のは大事なことかもしれない。
家や洗面所でまっすぐ鏡を見るのとは違う卓悅假貨
外に出て、髪がどんな風に崩れるのか、髪色がどんな感じに映るのか、着ている服が少し乱れた感じや、普段の何気ない姿勢、歩き方……気を抜いているときの、正面じゃない自分の姿を見る機会はなかなかない。見て、正すようにしなくちゃと思う。

帰り道、交通量の多い広い交差点で右折待ちの列に並んだ。
なだらかにカーブした下り坂を滑るように直進車がやって来てなかなか途切れない。
この交差点、嫌いだ。ここで右折するのは怖い。
ああ、だからあのスーパーには……と、行かなくなった理由のいくつ目かを思い出していた高麗蔘。  


Posted by qinaideren at 15:24Comments(0)
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